モノクローム Ⅱ




その女の子は小学生になった。ランドセルはおばあちゃんが買ってくれた。でも机と椅子とベッドは無かった。だからテレビで流れてた机が羨ましかった。でも欲しいとは言えなかった。だってお金がかかるから。両親にはワガママを言ってはいけない,迷惑をかけるから。そう思っていた。
小学生になってやっとクラスのみんなから話しかけられるようになった。でもその子はみんなの話を聞くだけで自分のことはほとんど話さなかった。何故かはわからないけど自分のことを話すのが怖かった。ひとりだけ違う地区だったから遊ぶこともなかった。小学生になるとひらがなの練習や算数の計算問題など色んなことを勉強する。その子はやっと両親に褒めてもらえると思った。それはテストがあるから。テストで100点を取ったら褒めてもらえる。そう思って沢山沢山勉強した。そして初めてのテストで100点や98点の回答が返ってきた。やっと褒めてもらえる!そう思って家に帰ってお米をといで炊きたてのご飯を用意して宿題をして待っていた。夜遅く母が帰ってきた。「今日ね,漢字のテストがあってね100点取ったよ!」母は何も言わなかった。「もう少しきれいな字が書けるといいね」それだけ言って寝室に入っていった。その子は褒めてくれるとばかり思っていたから悲しいを通り越してびっくりした。それからその子は少しでも褒めてもらおうと人一倍勉強をして通知表で全部Aを取った。これで褒めてもらえる!そう思った。でも両親はその子を褒めることは一度もなかった。いくらテストで100点をとろうが通知表でオールAを取ろうが生徒会の副会長になったときでさえも褒めることはしなかった。ピアノも頑張った。その子が6年生のときに「〇〇ちゃんリサイタルコンサート」を開くまでになった。頑張ってクラシック,ジャズ,ポップスなど5曲全部暗譜してノーミスで終えた。両親は見には来てくれた。でも何も言わなかった。英語も頑張った。小学3年生から中学校の教科書を習って英検2級まで合格した。でも両親は何も言わず,ただ「お疲れさん」と言うだけだった。 
もうその頃には褒めてもらいたいなんて感情は無くなった。ただわたしがもっと頑張って優等生で在り続ければ両親が思い描く理想の完璧な子供になれる。迷惑もかけることもない。それが唯一わたしに出来ることだ。そう思った。
そして中学校に入学した。中学生になっても優等生で在り続けた。人一倍勉強して部活も必死に頑張って生徒会にも立候補して生徒会長もした。その子は自分は不器用だから教科書を読むだけじゃ点数を取れない。そう思ってテスト期間は自己流で一日8時間は勉強した。それに高校は推薦でいこうと決めていたから生徒会活動や部活でキャプテンをしたり通知表も3年間全てほぼオール5だった。何の為にこんなに頑張っているのか。それは優等生で在り続けるため。両親が思い描く「私の子供は優等生で頭が良くてスポーツもできて何でも出来る子」で居なければならなかった。その子は学年では〇〇さんは頭が良いしなんでも出来る人だと全員から思われていたし実際に言われていた。だからその子はそのプレッシャーも抱えながら,両親に迷惑をかけないようにと優等生で在り続けた。そして学校推薦で地元ではトップクラスの高校に入学した。





千依 林檎

行方不明の微少女。命短し恋せよ乙女。

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